令和6年2月12日、OMGホールディングスのグループ会社、一般財団法人 日本保険請求財団の大平代表理事は、京都市武道センターにて開催された、「柔道整復」記念碑の建立除幕式に参加いたしました。

式典には、門川京都市長、公益財団法人 柔道整復研修試験財団の今別府代表理事、公益社団法人 全国柔道整復学校協会の谷口会長、一般社団法人 日本柔道整復接骨医学会の安田会長、建立実行委員長で公益社団法人 日本柔道整復師会の長尾会長ら日整幹部の皆様、全国柔道整復師統合協議会から田中・岸野両代表、近藤専務理事らと共に理事である大平も来賓として参席しました。

「柔道整復」記念碑は、柔道整復師有志が設立した【「柔道整復」記念碑建立実行委員会】が、門川京都市長のご理解を賜りながら、京都市武道センター内に建立されました。

モニュメントには、「未来へ繋ぐ日本の文化 柔道整復」が記され、「日本の文化」である柔道整復を未来に繋ぐことを祈念するという意味が込められています。

記念碑につきましては、令和6年3月31日まで建立募金の募集も行っております。

一般財団法人 日本保険請求財団は、「柔道整復」の発展の寄与と、柔道整復師・あん摩鍼灸マッサージ師の社会的地位向上を目指してまいります。

■建立の趣旨

柔道整復師、柔道制服術の歴史は古く、大宝律令(701年)医疾令(718年)や養老律令(757年)の中にも骨傷を専門とする寒色の事が記載され、官中医官を務めた京都の丹波康頼が調停に献上した日本最古の医学書である「医心方(984年)」にも骨折、脱臼、打撲、創傷などの処置についても詳しく記載されている。

その後も「接骨医」「ほねつぎ医」として国民の指示を受けてきたが、明治の医制改革・西洋医学の導入により存続の危機に陥るも1920年「柔道制服術」として時の内務省より行として公認された。戦後GHQによる弾圧からも先人たちの想像を絶する努力によりその危機を乗り越えてきた。
「柔道整復」のこれまでの歴史的背景から「医療」としても「文化」としても継承していかなければならない。

明治以来初の中央省庁の文化庁京都移転(令和5年3月27日)という国家プロジェクトに合わせて旧武徳殿のあるここ京都市武道センターに建立いたします。

令和6年2月12日
「柔道整復」記念碑建立実行委員会
委員長 長尾淳彦

・「柔道整復」記念碑建立募金について
https://www.shadan-nissei.or.jp/wp/wp-content/uploads/2023/12/365256afb7a0660f60b525a0010dcb75.pdf